2011-01-13

わたしが腐女子である理由

結論 → たぶんわたしの人生に、これよりおもしろいことはない。


生きてることはデフォルトで苦しい

呼吸だって食事だってしい。しんどい。つまらない。

わざわざ苦しい思いをしないと生きていけないように、どういうわけかこの世はなってる。

日常だって人生だって、9割はどうでもいい糞つまんねぇ苦しいことでできてる。

仕事だって学問だって結婚だって人間関係だってそう。

たった1割がすげーきらきらきらきらきらめているように見えるから

そこにやりがいとか生きがいとかクッソ気持ち悪いものがあるようなフリしてどいつもこいつも生きていやがる。

ドMでもないかぎり、普通そうする。自分の居場所が薄汚れたクソマミれの場所だなんて誰だって思いたくない。

クソマミレでもちょっとはきらめくものが合ったんだよと思いたい

そりゃわかるよ 私も人間からな。

でもさ、どれだけきれいな一部分にだけ着目しても、生きてることと行き続けることは基本的にクソまみれだ。

今日一日の、不愉快なこと書き出してみ?

今日一日の、愉快なこと書き出してみ?

どう考えたって他の物体なんて自分の思い通りにならないんだから不愉快

それを指して「思いどおりにならないんだからいいんだよ」ってのはただの処世術



でまあ結局心の置き場所なんか他人の股間にしか ねぇよ

って三回まわって絶望して四回目にはっと気がついたの、19の時。

もうどうだっていい。

幸せとか心の置き場が(実在するしないに限らず)他人の股間にしかないのなら

どうせなら一番遠い他人の股間に幸せがあることにしたい。

どうせなら存在しないものがいい。存在しないものなら1から作れる。

自分が関係ないものがいい。

それなら傷つかない。遠くにいたい

しいいしない代わりにそれが大嘘なのを知りながら

今日アニメ漫画やおいは私の手元にある。




いつだって傷つけないものはみんなに優しいから

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん