結論 → たぶんわたしの人生に、これよりおもしろいことはない。
わざわざ苦しい思いをしないと生きていけないように、どういうわけかこの世はなってる。
日常だって人生だって、9割はどうでもいい糞つまんねぇ苦しいことでできてる。
たった1割がすげーきらきらきらきらきらめているように見えるから、
そこにやりがいとか生きがいとかクッソ気持ち悪いものがあるようなフリしてどいつもこいつも生きていやがる。
超ドMでもないかぎり、普通そうする。自分の居場所が薄汚れたクソマミれの場所だなんて誰だって思いたくない。
クソマミレでもちょっとはきらめくものが合ったんだよと思いたい。
でもさ、どれだけきれいな一部分にだけ着目しても、生きてることと行き続けることは基本的にクソまみれだ。
今日一日の、愉快なこと書き出してみ?
どう考えたって他の物体なんて自分の思い通りにならないんだから不愉快。
それを指して「思いどおりにならないんだからいいんだよ」ってのはただの処世術。
でまあ結局心の置き場所なんか他人の股間にしか ねぇよ
って三回まわって絶望して四回目にはっと気がついたの、19の時。
もうどうだっていい。
幸せとか心の置き場が(実在するしないに限らず)他人の股間にしかないのなら
どうせなら存在しないものがいい。存在しないものなら1から作れる。
それなら傷つかない。遠くにいたい。