漫画規制論とかかくあるべき在り様とかそういった類の議論にさらっと目を通して思ったのだけれど、みんな怖がりすぎてるよね。
なんていうか、恐怖が恐怖を呼んでどんどんそりがあわなくなっているような印象を受けた。
地獄への道は善意の煉瓦で敷き詰められているっていう諺がいうところの善意は、この「恐怖」を解消するための解決策なんだろう。
理解できないこと、わからないこと、共有できないことを排除して、お互いに見やすい形だけで接しあう。
確かにその光景は美しいし居心地がよく感じられるのかもしれないけれど、それって今よりよっぽど「恐怖」が増している状況なんじゃないかな。
だって、結局のところ見たくないものに蓋をしただけで、それが現在どうなっているのかがわからなくなってしまう。
安穏とした薄っぺらい安心は享受できるだろうけど、根本的な解決には至ってない。
というか、そもそも受け入れられない物事に対する「恐怖」っていうのは絶対的になくならないと思うんだよな。
「恐怖」を感じなくするよりも、「恐怖」があることを受け入れられる勇気を持つことのほうが建設的だと思う。
恐怖を受け入れることができない臆病者たちは、研究して全人類同じ思考をするよう人工チップなり洗脳電波なりを開発すればいいんじゃないかな。
みんな同じなら怖くはないだろうからね。