わがままなやつだと思ってくれ。
家族は、非常にうるさい。今日も、妻が叫んでいる。子供は走り回っている。この騒々しさもひとつの醍醐味だという人がいるが、俺にはそうは思えない。ただ、いらだたせるだけの他人だ。
『暖かい家庭を築こうね』と妻は結婚前に言っていた。その『暖かさ』がどんな意味かは知らなかったが、俺は適当に相槌を打っていた。彼女の言う『暖かい家庭』とは、常に何かしら生活音が鳴っており、騒々しい家庭のことだったようだ。
やれやれ。
俺と妻と子供は、布団の中でくっつきあうようにして眠る。妻は後ろを向く。俺は妻の背中を見る。それでよい。老けてしわが多くなってきたお前の顔など見たくもない。寒くなってきたので、くっつきあうことで体温はちょうど良い暖かさになる。
暖かい家族はまどろみの中にしか存在しない。この瞬間だけ、俺は家族の暖かさに触れるのだ。本質的な意味として。
だが、暖かさにも質がある。そして最近ではその質が下がってきている。
妻の顔は老化し始め、体はたるみ始めた。今だって、手を伸ばせば彼女の脂肪に手が触れる。妻も子供も最近では布団の中で豪快に屁をする。屁のぬくもりなど俺はほしくない。しかし、ぬくもりを逃したくは無いので、俺は布団の『窓』をさっと開けて、なるべく冷気が入らないように、中の空気を消臭する。
そして俺は布団の中で『どうしてこんなことになってしまったのか』という寂寥感によって眠りに落ちるのだ。