先週の昼、休憩が重なった同僚二人と日替わり定食を食べた。
この二人は偶然にも同窓の者だったらしく、共通の知人Aの話題に花を咲かせていたのだが、
一方がこちらに配慮し、Aという人物に関しての説明をしてくれた。
「この子の部活の先輩で~」やら「当時生徒会の役員をしていて~」やら「今は地元の商社で~」 云々、
とにかく校内では有名人で独特のキャラクターが笑いをとっていたとかそういう知人がいると。
実際のところ興味関心は一切沸かないもののお気遣いに感謝しつつ空気を保とうと話半分頷いていたのだが、
途中、「Aはガイジって呼ばれてたんだよ。」と、
残酷小説の言い回しを借りるなら「子供がなにか楽しい遊びでも思いついたかのような顔で」言った。
ちくりといやな予感がした。
それに続いてもう一人も「あーそうだったそうだった!!」とひとしきり思い出し笑いをしてから、
ねぇ面白いでしょとばかりに、どや感あふれる笑顔をこちらへ向けられた。
こちらが乞わずとも話は展開されていく。
「なんで ガイジ って呼ばれてるかわかる?」
大体見当はついていながら言葉を濁していると、小笑いとともに答えが返ってきた。
いわく「"障害児"の ガイジ だよ。」そして爆笑。
平均的な人見知りで、社内にも親しいと呼べる人はそれほど多くない。
平均的な人見知りだから、ほんとうに親しい人以外に強く主張したり反対を唱えることはできない。
しかしながら、今回は「そういう冗談は苦手なんだよね。」と話を遮らずにはいられなかった。
案の定「なに過剰反応してんの?」と期待通りの反応を得られないことへの不満をぶつけられたが、
全く気にしていないそぶり(のつもり)で食事を終え、私は仕事に戻った。
身内に障害者障害児がいるわけでもない。自分が障害を有するわけでもない。
実際の障害者をどう思っているかは置いておいたとしても、
ただ、この手の冗談をなんの衒いもなく成人が言っているいることが怖くて仕方がなかった。
悪意をもってそう呼んでいた・呼ばれていたのではなかったとしても、それはそれで怖い。
障害者関連ワードの使用に過剰反応してしまう私のような人間の方がよほど差別的だと言われやしないかとそれも怖い。
(ちなみに「障がい者」の方を使いなさいとかそういう方面に言及する気はない。)
テレビ等で耳にするようになった、
「障害者たちは腫れ物を扱うように接せられるよりも、普通の人間として接してもらいたいのだ」という言葉が浮かぶ。
その観点でいうと私よりも普通に扱っているのは同僚たちなのだろうか?
いやいや、「普通に」侮蔑用語として使用されることにやっぱり恐怖を感じる。
ついでに言えばワードの悪用に対する嫌悪感を抜きにしても障害児が爆笑の対象になるとはどうしても思えない。
理解できない。怖いもんは怖い。
勝てない相手に対して過去の人格攻撃をすることでしか 自分を慰めることしかできない人もいる。