モニターの先にある主体的なムーブメントと、それを見ている客体的な自己を比較させる構図を作り上げ、彼らをそのムーブメントへと駆り立てようという欲求をそそらせる。
よりムーブメントの中に進めば進むほど多くの情報取得と自己満足による欲求を満たすために、末端の情報は限りなく少なくするのが望ましい。つまるところ、人を無意識のうちに支配して、ある程度操作することができるだけの知識、経験などが必要。
一番最後の事例のミカサバッグは、都会と地方都市の地理空間フィルターが作用している。
マニア、愛好家などの集団
情報を欲しがる人というのは、多数派が既に取得しているものは、自分にとって必要かどうかの知識を持っている。同時に彼らは自分にとって必要な、自己満足させるモノを常に探している。
彼らはニコ動で「もっと評価されるべき|ひっそりと評価されるべき」タグを付けて回るし、そういうトレンドの起こりに敏感である。
彼らは「他人が知らないことを知っている自分」を無意識のうちに好いており、そのためなら余暇の多くをそのために割けるだろう。彼らは開拓者であり、先導者であり、同時に好んで少数派になりたがる。
簡単な例としては、ニンテンドーDSがブームになったときに、あえてPSPを手にとるような人々、IEでは満足せずに、火狐やChrome、Operaなどを試すような人々である。火狐が普及しつつある昨今、彼らはもう新しい場所を求めているかもしれない。そしてそんな
流れを横目にwebkitやOperaを選んだユーザーはあの時の自分の選択は正しかったと今も信じてやまないだろう。
つまり、彼らのために新たなフロンティアを提供するだけの場が必要なのであり、それがなくてはブームは起きるわけがない。導かれる民がいても、導く場がなくてはどうしようもないのである。
後者のような事例がブームとして取り沙汰されるのは、世代刷新がなされたときに確信犯として持ち出されるものである。ポケモン商法はその世代刷新が為されることなく定期的にリリースすること(4年おき)により、ブームを持続させることに成功している。小学校に一、二回、中学、高校、大学に一回ずつまたそれを体験できるという意味でも、四年という周期は極めて適切である。