2010-09-22

http://anond.hatelabo.jp/20100921003540

人は自分の見たいものだけを見るんで、あなたにとって「けいおん」の展開がそう見えたのなら、そういうことなんでしょう。あなたの中では。

↓こういうのって、遥か昔からある考え方だけど、そうだなあ、「個性尊重」みたいなことが言われだした、20-30年くらい前からかな? おおっぴらに言われるようになって、結果としてこういう考え方自体が類型化、陳腐化しちゃったと思うのね。

その唯一与えられたチャンスを、「過ごす」ためだけに使う。それはある意味ではそういう目的意識の下では意味があるのかもしれないけれど、そういう他人に魅力は感じないと思う。何かに向かって一所懸命になっていて、これが俺がやりたかったんだ、と言える人になっていたいし、そういう人といっしょにいたい。

友達がこうするから、こうするというのを大事な選択のときにしたくない。単なる仲良しごっこだ。離散だって一つの形だ。それも乗り越えられない人間関係なんて何なのと思う。乗り越えられない人間関係多いと思うけれど。誰も見たことのない世界自分にしかできないこと、そういうことをやったらドキドキするしきっと楽しい。そんな世界にあらかじめ友達はいない。自分で作っていくのだと思う。

間違ってないし、今あなたがそう感じてるならそれに従って行動すればいいと思う。でも今そういう物語を作ったらむしろあまりに陳腐だろうね。そのカウンターとして「全員同じ大学に進学」を持ってきたのは、おもしろいなと自分は思ったね。「全員同じところに進学」というプロットに、単なる仲良しごっこ以上の意味があるってこと。大学選択を、あなたの言う「(友達に影響されずに自分で考えるべき)大事な選択」と受け取る事自体、類型的な見方だしね。

まあ、類型が悪いってことはないし、解釈だっていろいろだ。ただ「自分にはわからないけれど、別の見方があるかもしれない」って可能性はいつも気にしておくといい。

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