元増田の一番の願いはこれかなと思った。
そして、それを忘れたいのではなくて、そう扱われてきたこと、
それに対して努力したことを理解・評価して欲しいのではないか。
たとえばもし、美人な友人たちよりも「増田さんの方が可愛い」と言われたら解放されるんだろうか?と
思ったけれど、そういうことじゃないんだろう。
今を認めてもらうより、今までの私を認めて欲しいんじゃないかね。
「私は私、美人ではないのだから」と諦めたいのか
「私は私、彼女の持っていない物を持っている」と信じたいのか。
だって高い基準がいつも隣にいて、その子達の足元にも及ばないから。
お世辞ぽく聞こえてしまうのでしょうか。
「かわいい」=「美」とは限らないのです。
かあちゃんのご飯は「美味しい」レストランの食事も「美味しい」
美食として比べたら全く比較になりません。
けれど、美しい彼女と貴方の「かわいい」の差は美じゃない処なんだと思う。
かあちゃんのごはんうまい。を貴方が受け入れられたら楽になるかもしれない。
そういう考え方も、貴方を開放してくれるかもしれない。
でも、貴方は美味しいレストランになりたがっているように思います。
信用できる友達が言うには、外見も内面もものすごく努力してるのがわかる、
あとは気持ちの問題だと思う、とのことです。
彼らを目の前につれてきて、その非礼を認めさせることが出来れば手放せそうですか?