以前だったら、同調して愚痴を言っていたが、今はそんなことはなくなった。
愚痴を慎むようになったのには、きっかけがあって
それが後輩が愚痴をこぼしていた同僚にある。
同僚は総務の女性でぱっと見可愛いらしく、正義感が非常に強い。
(ということにしておく)
正義感が強すぎるため、そこ、言わなくてもいいんじゃないの?ということを人に注意する。
でも彼女自身は完璧でないし、人に文句を言えるような身分でもない。
自分を棚に上げておいて、何を言っているの?という事が頻繁にあるため、社内からは煙たがられている。
何分かけたのか、というくらいの長文愚痴メールを同調してくれそうな人間を選んで送ってくる。
愚痴を言わざるを得ない事実に基づいた内容であればまだいいのだが
彼女の悪い所は、ありもしないことを想像だけで文句を付けることにある。
こういったことをされると非常に気分が悪い。
そしてそうやって愚痴っている彼女の顔は、いつもの可愛いらしい顔とは違い、醜い。
驚くほど醜かった。
愚痴がエスカレートしていくにあたり、どんどん顔が酷くなっていく。
それにふと気が付いた。
人ってこんなに醜くなれるのか、と彼女の顔を眺めつつ思った。
醜い顔をしている彼女を可哀想に感じたと同時に、
似たような経験で、「嘘」をつけなくなりました。 明らかに「嘘」をついてるひとの白々しい語り口を目の当たりにして 非常に不快感を感じました。
「愚痴」と「嘘」を同レベルに考えている人もいるんですね。
ここで言いたいのは「人のふりみてわがふりなおせ」ってことだが。 愚痴でも嘘でも自慢話でも厚化粧でも、なんでもいいんだよ。
そのような(ある意味で)功利主義的な理由がないと、 愚痴を言うのをやめることができないというのはどーなんだ?
・口答えしなさそーな人を嗅ぎつける ・愚痴の聞き役にさせて自分のストレス解消にする ような人のタゲから外れるためのノウハウがあると良いねえ。