教養があると不幸になる。
不幸になるのは40代…と限らず、教養があると自覚してから
教養を持っていたとして、なんのいいことがあるのだろう。
物事の道理を深く知ることができるのかもしれない。
世の中を見通す目を養うことができるかもしれない。
しかし、その重圧に、絶望に、かつて教養人と呼ばれた人々がどれほど嘆き悲しんだことか。
それに耐えかねて自殺したり早世した者は数えきれない。
まるでトロイアのカサンドラのごとく自らの言葉は誰の耳にも届かず
その一方で、世間の不幸や、世の儚さは否応でも目に焼き付けられる。
知識というものは、まるで禁断の果実のごとく甘そうな実を蓄えてはいるものの
一口食べてしまったら、今まで見えずに通りすぎていた現実と向き合わざるをえない。
一度見えてしまったら、もう見ていないで済んだ過去に戻ることはできないのだ。
不幸になるのは40才すぎてから 本を読むまたは漫画を読む 歴史を知る 古典を知る 図書館か本屋へ行く そういうのを地道にやんないと 年をとるほど惨めになる
教養があると不幸になる。 不幸になるのは40代…と限らず、教養があると自覚してから 教養を持っていたとして、なんのいいことがあるのだろう。 物事の道理を深く知ることができ...
探究者でありたい。 世の光も闇も己の内に混沌としたまま持っているのだ。 全てを知るにはあまりにも短い人生を惜しみながら死にたい。
目を背ける事さえ覚えれば大丈夫だよ。
どう惨めになるの?誰もが本を読み歴史や古典を知るべきなんて、戦後になったからのもんなんだけど。
教養がないと不幸になるかどうかについては分からないが、「自分には教養がない、と絶望する人」なら見たことがある。 確かに40代を過ぎてから、そう思うことは、かなり辛いことの...