2010-08-24

http://anond.hatelabo.jp/20100824173140

それは一般的には同意したい理念だ。

異なる価値観、特に文化水準の違うものに対して自分の地平から相手を批難するのはあまり意味のあることではないと思う。

しかし、この場合も当てはまるかが問題だ。

この万引きのケースでは、増田の言うようなおおらかさを適用すると以下のようになる。

すなわち、「わたしは万引きしたかも知れんけど、軽犯罪なのだからおおめに見てよ」となる。

価値観文化水準は、無限に細分化可能だろう。究極的には個人にまでいく(同じ個人ですら時間によって異なる)。

それを尊重するならば、犯罪などは成立する根拠がなくなる。

個人が個別に持っている倫理のみにしたがって生きればいい。

しかしそれは、現実には不可能だ。

このケースでは、非難することには意味があると考える。なぜなら万引き犯罪だからだ。

増田の言うような理念が発揮されるべきは、宗教民族紛争などの場合であって、決して万引きに対してではないと思う。

  • それを尊重するならば、犯罪などは成立する根拠がなくなる。 犯罪かどうかは基準さえ決めれば成立する。 ポイントはそこではなく、法律を唯一もしくは最優先の基準とするか、場の...

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