何年も世渡りを続けていて、ふと思うことがある。
私たちはみんな同じ一つの高い高い山の、そのどこか別々の場所に居て、それぞれ無関係に暮らしている。
でも時々、山には津波が押し寄せてきて、下の方に住んでいる人をさらってゆく。
みんな津波が怖いから、より高いところに住むことを目指す。
でも津波はたまにしか来ないから、命を奪われる恐ろしさ、住んでいる場所の高低で生死が分かたれる恐ろしさを、結構簡単に忘れてしまう。
それが怖くて怖くて結局忘れられなかった私は、追い立てられるように努力して、山のすごく高いところ…へは能力も才覚もないから行けなかったけど、それなりに高いところの、津波の影響の来づらい山の裏側に住みついた――と自分では思っている。
実際、今の仕事は以前とは比べようもないほどラクで、不況の影響も比べたら失礼になるくらい少ない。
安楽な日々を送る私の目には映らないところで、今日も会社は次々と潰れ続け、私と何ら変わるところのない人達が大勢路頭に迷っている。
でも、今やってきている不況は、こうなんというか…うまく言えないのだが、慢性的かつ継続的な、大不況に相当するものなんじゃないかと思う。構造的不況、と言うのが一番正確だろうか。
この、じわじわ来ている大津波は、いずれ山頂まで到達するかもしれないし、津波が山の裏側まで回ってくる事例だって普通にある。
別に、現状の経済に対する一家言があるわけでも、先行きに対する確固たる見識があるわけでもないのだが。
他の人の足元に水が来ている状況では、どれだけ高いところに居ようと自分の足元を心配せずにはいられない。
もっと高いところへ逃げなければ、と、私の逃走本能に再び火がついた。