辛い状況にある、環境に対して反応的に生きざるを得ない人に対して、自己責任論を押し付けるのはおかしい。
その手の人に限って、検察の自白強要について意義を唱えたりする。
自白強要を問題視するということは、
精神的圧迫によって人が容易に反応的になりうることを理解していることを示す。
じゃあなぜ、同じく水と食料と安全が確保されたからといって、
社会による精神的圧迫によって反応的にならざるを得ない人間に、
自己責任と言い放つことができるのだろう。
多くの成功者が挙げる自己啓発書「7つの習慣」を読んでいて、そんなことを思った。
たぶん、彼らが自己責任論で啓発されてきた感覚から支持されてきたのだと思う。
自己啓発としての自己責任論は素晴らしいと思うが、
それを社会設計の場面にまで持ち込むのはお門違いだ。
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