「おまんこ」と言ったらすぐに「お前は小学生か」と脊髄反射で返す人間がたくさんいる。
脊髄反射で返して揚げ足をとることで、「おまんこ」発言の本来の主旨から外れてしまい、会話の方向があさっての方向にねじ曲がってしまう。
これはあまり良くない社会の風潮ではないかと私は考えている。
「おまんこ」と言っても、いろんな「おまんこ」があるのだから、全ての「おまんこ」を否定してしまうのは、
あまり賢い大人の態度だとは言えないのではあるまいか?
言葉というのは、面白いもので、単語を聞いただけで特定の反応を誘発してしまうような側面がある。
であるから、「おまんこ」とくれば「小学生か」と脊髄反射してしまうのは、無理からむところもある。
しかしながら、人間は理性の生き物である。そういった感情的な反応をグッとこらえて、冷静に発言の主旨を読み取るのが人間としての完成された姿ではないのか?
例えば、男性諸君にとって、可愛らしい女性が恥じらいながら「ぉ・・・ぉ・・・・ぉま・・・んこ・・・」と言うのは興奮に値するものであるが、
人間というのはそういうふうに同じ単語でも言い方や状況に応じた的確な意味を繊細に読み取る能力があるものである。
もし、そのような人間としての素晴らしい能力を活用せず、「おまんこ」を全否定してしまうのなら、その人はもはや人間ではない。人にして人にあらず、である。
こういった考察を踏まえれば、明日学校の友人が「おまんこ」と言ってても、明日会社の同僚が「おまんこ」と言ってても、
これまでの愚かで下等な自分とは違って、高等な反応を返すことが出来るであろう。
そういうふうにして、1つ1つの言葉に対する反応を反省してこそ、人は大人になるのだ。
言葉とは奥の深いものである。
たかが「おまんこ」、されど「おまんこ」。「おまんこ」を舐めてかからずに、「おまんこ」をよーく味わってしゃぶり尽くさねばならない。
「おまんこ」という言葉の持つ美しい広がりがクパァと開けて見えてくるのだ。 これが言いたいだけじゃねえかw