2010-03-16

http://anond.hatelabo.jp/20100316115613

横ですが。

性同一性障害という同じ位置づけで、子どもたちに対する性暴力を好む人たちを逃がしていくとしたら

「したら」となっていますね。だからそれは、単なる前提条件。

そういう特殊な括りで、それらの嗜好を許容しろと言うのなら、とでも言った感じ。

むしろ同一視はしたくないのじゃないかね?

そして、続きがこれ。

障害という見方、認知障害を起している人たちという見方を主流化する必要があるのではないかと思うんです。

つまりは、それらの人は特殊な認知障害を起しているのだ、と広く世間に広めようとしているわけ。

さて、ここで面白いのは、この文章。

例えば児童に対する児童ポルノの愛好者の人たちが児童に悪影響を与えるとか、漫画のひどいものが出ているといったら、その人たちはある障害を持っているんだというような認識を主流化していくことはできないものかというのを、お話を聞いていて思いました。

児童に悪影響を与えるとか、漫画のひどいもの】それを誰が判断するかはさておき、これらを嗜好することを、障害と出来ないかと主張しています。

性同一性障害】の既定とは著しく違い、「悪影響」「ひどいもの」と言葉をならべて、それらを「障害」と既定するのですから、そのレッテルを貼られるということがどういうことか、想像に難くないでしょう。

つまりこれは、「キモい奴らは全員病気って事にしてしまおう!」そのものです。

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