2010年01月15日の日記

2010-01-15

http://anond.hatelabo.jp/20100114191607

当然の前提と言うなら、「結果が受け入れられないなら去るべき」なんて文言はいらないんじゃね?

なぜ、異分子を排除する方向の思想が必要なの?

去らないなら、渋々ながらでも、結果を受け入れるってことだろ。

別に文句や愚癡を言うなとまではいってない。

それと、遠回りのスロープや、歩道の誘導ブロック信号の通知音とか、別に健常者の利便性は上げてないよね。

社会全体で負担していこうと言う「福祉」の問題。

高齢者幼児には利便性につながってるんじゃないの。

要は、社会的弱者が暮らしやすい社会は、弱者じゃない者にとっても暮らしやすくなるものだということ。

言葉の壁がある外国人が居るとしたら、通訳や表記のグローバル化が必要になるが、それも別段日本で暮らす日本人には必要ない。

必要なくはないんじゃないかな。

鎖国をしない限り、外国人が訪れるんだから。

最低限の英会話ができれば問題ないのかも知れんけど。

もちろん、彼らにとってそういう対応の拡充はありがたいことだろうから、参政権が与えられれば公約になるかもね。

「窓口に通訳を」とか、「広報を3ヶ国語で」とか。

限られた予算の中で、どこまでやれるかってのはあるけど。

とはいえ、議論の中に入れるってこと自体が大事なんであって。

政治家の大半である政治屋は、票のないやつのことは放置しがちだしな。

http://anond.hatelabo.jp/20100114233157

もしその彼に告白されたら…って、なってみないとわからないかもよ?

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