2009-11-07

「失敗してもいいから」ではもうダメ

 必要な教育は変わった。

 みんな賢くなった。

□いまの子どもたち。

 最近人間に対して、昔みたいに「とりあえず失敗してもいいからやってみ」なんて言っても、それはあんまり「ため」にならない。

 みんな自分には「人としての尊厳」があることや、予備知識も無くいきなり挑戦しても「失敗するだろうこと」を知っているから、信頼していない人間に「とりあえず失敗してもいいから」なんて言われても抵抗を感じる。最悪やる前から「やらない」ことを選択する。

 これは「指導の失敗」。

□いまの大人たち。

 昔はそんなことは無かった。

 子どもは大人のいう事を聞いていれば良かったし、部下は上司のいう事を聞いていれば良かった。

 自分に「権利」や「選択肢」があるなんて知らなかったから、「失敗を恐れる意味」もあまりなかった。

 そんなふうに目上に従いながら、「失敗の繰り返し」を経験して「知識」を得てきた彼らは、後輩にも同じ方法を強く勧める。

 「とりあえずやってみ」なんて。

時代錯誤

 しかしすでに、「知識」の価値暴落しているし、それを得る手法としての「経験」も、情報網の整備によって相対化され、その価値を軽んじられている。

 ネットで「検索」すれば一瞬で出てくるような情報を、だれも苦労して手に入れたいとは思わないし、頭のなかにストックしておきたいとも思わなくなった。

 だから自称教育者がいきなり「経験から学べ」などと言っても、そもそも「経験の有用性を学ぶ経験」をしていない人間には通用しない。

 頭ごなしに「とりあえずやれ」ではもうダメで、あたらしい指導方法が必要になっている。

日本教育はただの「フィルター」。

 日本学校教育は「とりあえずやってみ」と言っている。

 出来合いの目標受験スポーツ)を与え、問題と解答を与え、「とりあえず経験してみ」と押し付け続けている。

 問題を与えるばかりで、答えの導き方は教えない。教えられない。

 やり方は教えずに「とりあえず」みんなに「経験」させてみて、そこから正解に辿り着けた子は賢いから次の問題を与え、辿り着けなかった子は落ちこぼれ扱い。

 投げっぱなしだ。

 こんなものは教育とは言わない。

 ただの「フィルター」にすぎない。

□必要なのは経験から学ぶ力。

 飽きた。

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