そういう質問をすること自体を否定する人っているのかなあ。質問の内容自体はありふれているので、そこで若干軽く見られるケはあるかもしれないけど。
少し気になるんだけど、この質問を向けられたときに「差別は良くない」という結論に達した相手を「常識に縛られているじゃないか」みたいな見方はしてないよね?為念。
「常識に縛られない考え方」というのは、思考の枠組を「常識」から解き放つためのものでしかなくて、「結論が常識的にならない」ということとは全然違うってのは注意すべき点だと思う。だから、結果として「差別は良くない」と回答されたとしても、それは必ずしも矛盾とは呼べない。(問題になるのは結論ではなくて過程である、ということ。もし、過程の段階で「常識」を用いた思考停止が見られるのであれば、「矛盾」と言っても良いと思う)
余談だけど、挙げられた例では「差別」という言葉の定義をしっかりしないと、有意義な議論にはならないと思う。差別の意味と倫理的な善悪の概念を分けないのなら、「差別」は当然に「良くない」ことになるし、差別の意味に倫理的な側面を結び付けないのなら、「差別」は必ずしも「良くない」こととは限らない。(ただし、後者の意味であっても、必ずしも「良くないとは限らない」からと言って「差別」全体が「良い」ことにはならない。)前者の意味で差別を定義するか、後者の意味で差別を定義するかで回答が全然変わってくるわけで・・・。この説明で上手く伝わるかどうかちょっと怪しいけど、「好ましくない扱いの差を差別と定義する」ならば、語義からして「差別は良くない」というのは自明よね?「単なる扱いの差を差別と定義する」ならば、必ずしも「差別は良くない」とは限らないのも自明。そういう「差別」という抽象的な概念を、ろくに定義もしないまま議論しようとしても雲を掴むような話にしかならないと言うか、言葉遊びみたいにしかならんと思うなー。
もしどうしてもそうした話題で議論がしたいなら、(差別として扱うべきかどうか)議論の分かれる個別のテーマについて、それが「好ましくない扱いの差」に当たるかどうか、について具体的な討論をした方がよさげ。
説明不足でした。 「一般的に差別はよくないと言われるが、果たして本当にそうか?」 に対して 「え、きみ差別いいと思ってるの?いいわけないじゃん。オハナシにならない。そうい...