初めて自分がバイセクシャルかもしれないと思ったのは、大学に入ってからのこと。
高校二年生でものすごく仲が良かった時期があったにも関わらず、それ以降まるでただの顔見知りのように心が通じなくなってしまった女友達のことを、思い出したときだった。考えてみれば、私が彼女を賞賛し「大好き」と言って憚らないさまは憧れの男の先輩を見つめる目と同じだったし、それが原因で彼氏に嫉妬されたこともたびたびあった。彼女と特にいざこざがあったわけではないけれど、当時の心の離れていきようも(私からしてみれば)すれ違いが原因で別れたカップルのようだった。付き合っていた彼氏と別れたことがきっかけで思い出した彼女の存在が、自分の中でどんどん大きさを増していって、(高校時代は同じ部活だったし)(みんなに「仲が良い二人」と認識されてたくらいだったし)、いま普通に友達で全然おかしくないはずの彼女がまったく届かない遠くにいることに愕然として、何度か泣いた。
さらに思い返してみれば、幼稚園から小学校三年生くらいまで、好きになる人は断然女の人の方が多かった。
もちろん男の子で好きな子もたくさんいて、当時は「好きな人は男の子の中から選ぶ」という概念を当然のごとく持っていたから、自分が特定の女の人に対して抱いている感情が「好き」の類いのものだなんて想像したこともなかったけれど。そのとき女の人(女の子といわないのはわりと年上が多かったからだけど)に対してしていた妄想は、年齢にしてはエロティックなものが多かったように思う。例えば、その人が熱を出して寝こんでいるのを、私が必死に看病して頼られる、だとか。その人が虫歯(その時の私にとって最大級の病気だった)で苦しんでるのを、歯医者に連れていきもせずに二人きりで耐える、だとか。同じような妄想を「好き」な男の子に対して抱くこともあったし、なんとなく、女の人を好きになるのは高校時代の彼女に対してだけの一過性の萌芽じゃなくて、自分に最初からそなわった個性なんじゃないかなと考えるようになっていった。
でもその一方で、自分はただの異性愛者だろう、って思う気持ちもあった。
それは別に両性愛が苦しいからってわけではなくて、自分が彼女に対して持っている執着心を「愛」っていうきれいな言葉で片付けたいだけじゃないかとか、心のどこかにバイセクシャルっていう存在に対しての憧れがあるからじゃないか、とかそういうことだった。男の子で付き合いたいって思うくらい好きな人もいたし、「女の人を好き」ということが自分の中で全く切実な問題じゃなかったから、この問題は誰にも相談することなしにしばらく放置されることとなった。
でも、実は、ずっと心のどこかに引っかかってたんだと思う。
昨日まで大学に入ってからできた友達男女あわせて数人と、一週間くらい旅行してきた。その一日目の晩、さっそく飲みでのガチ語り合いになったとき、自分でも驚くくらいするすると言葉がでてきた。
「私、『今後一生関われなくてもいいから、ただ幸せにだけなって欲しい』って思う人って、じつは女の子なんだよね」
ざっと概要を話すと、ある男の子にバイなのかどうか聞かれた。そうだと思う、と答えると「なんとなく気づいてたわ」って。その人は自分もバイっ気があるし、周りにバイもガチゲイもいるし感性の鋭い人なので、わりと気づけるんだと思う。すごい新鮮だった。「自分がバイかもしれないし違うかもしれない」って問題を、「恋人とラブホに行くか」とか「彼女に二股かけられてた」とか「改宗しないと今の彼氏と結婚できない」みたいな問題とおんなじ重さ、気軽さで話せることがあるなんて思ってもみなかったから。その場には男の子も女の子もいて、「性的欲望はあるの?」とか「それは苦しいことではないの?」とか聞かれたけど、私があまりに淡々としていると、ふーん、という感じでただ受け止めてくれた。
私にとってバイであることは、告白すべきかどうか迷う問題、ではなかった。それは今まで全く切実な問題ではないと思ってたから。今好きなのも、好きになってきたのもたいてい男の子だし。でも自分の恋愛観とか人生観とかを語るうえで、一二を争う重要な要素ではあった。なのにそれを全く無視してたから、今までずっと息苦しかったんだ。
なんかすっきりした。
いい友達ができて、よかった。