http://anond.hatelabo.jp/20090918221206
私はかつて物心ついた頃から毒家族の奴隷として使役されていた。全ては命令形て、従わなければ暴力が待っていた。そんなわけで、男性の身の回りをさせられることには過剰に反応してしまう。
相手の家で家事をするほど近しくなったら、まず、ここのところを説明しておいたほうがいいと思うよ。特に『従わなければ暴力』ってとこね。いわゆるトラウマになってるんじゃないかな。
「おちゃー」と言われて包丁投げつけるのは過剰反応だもの(いや、今回やらなかっただけで、やりそうでしょ?)。信頼関係があるとね、そういう通常使う言葉で傷つく場合に「あたしゃ、あんたの奴隷じゃないぞ」と言い返せる。彼がどう反応するかは未知数だけど、強烈な支配欲を持っているのでない限りは「お茶いれてくれる?」くらいには言いなおすだろう。
簡単に言うと、人には5つの自我状態があって「自由奔放な子供の心」「従順な子供の心」「大人の心」「他人を受容する母親の心」「厳格な父親の心」と分かれている。この5つの状態をいったりきたりしながら、他人と関わっていくわけ。他人とまさつを起こしてしまう人は、このうちのどれかに固まっていて、ほかの反応が出来ないことが多い。元増田はいつでもどこでもどんなときでも「従順な子供の心」でいることを求められ、従わざるをえなかったから、自分の判断で「従順になること」が出来ないんだ。
「自由奔放な子供の心」と「他人を受容する母親の心」については、もう、何を言われているのかわからないほど、イメージが掴めないだろうと思う。「自由」とか「他人を受容する」なんて、どこの世界の話さと思ってるんじゃないかな。私もそうだったんだ。母親は叩いて言うこと聞かせるタイプで、私が大きくなって殴り返そうとしたら「親を殴ろうとした」とかいって泣き崩れるんだもんよ。母親なんて「子供を操ろうとする支配欲の塊」ってイメージしかなかったから、子供産んで、子供が幼稚園行くようになって、他の母親をじっくり観察する機会が出来たとき「子供を可愛がる母親って実在するんだ」とえらく感動したことを覚えてる。
男の身の回りの世話なんて、やりたくないならやらなきゃいいんだ。
なぜ要求するのかって、通常は「自由奔放な子供の心」で甘えて「他人を受容する母親の心」に応対してもらいたがったりするからだよ。
そういうことは、別に男だから、女だからなんてことは関係ない。
私はとてもしんどいことがあったときに、男友達にどうしても愚痴りたくて、ちょっと約束あるんだけどというのを強引に呼び出して、愚痴ったことがある。別れ際に喫茶店のお金を払ったら「いや、俺が払う」とか言い出したんで、噴き出しちゃった。「あなた。呼び出されて、愚痴られて、さらに奢らされるつもりだったの? いいんだよ。呼び出したほうが払うもんだよ。こんなの」と言ってようやく引き下がってくれたけど。女のわがままに引きずり回されるのが当たり前になってるんじゃないかと、ちょっと心配になって、それからは、あんまりわがまま言わないようにしている。
男もいろいろいるよ。
母親なんて「子供を操ろうとする支配欲の塊」ってイメージしかなかったから、子供産んで、 ここ! 母親に良くないイメージしかないのに、子供を産む意志をどうやって持てるように...