2009-09-16

「父方のじいじい」

自分の父と母は、自分の結婚直後に「熟年離婚」した。

離婚理由は相当に父親側に有責な話であり、

「愛人との間に認知した子がいる」ともなれば、

「よく今まで離婚しなかったものだ」とも思う。

母によれば、「離婚するのは子供(=自分)が独立してから」と思っていたらしい。

そもそも「浮気の原因」は、

「自分がまだ母の胎内に居たときに、父が女性遊びして・・・」ということらしいので、

「自分という存在が離婚の原因を作り、かつ、自分という存在が離婚の障壁になっていた」

ということで、自分としてはいささか複雑な気分である。

・・・といういきさつなので、母は父との接触を嫌がっており、

自分が父と接触することすら母は嫌がる。

しかし、そうは言っても、父が自分にとっては「肉親」であることは動かせない事実だし、

「サイテーな男」ではあっても、まあ、それなりに愛着はある。

父は「老後をさびしく生きる」のだが、それはそれで「可哀相」な気がする。

特に、「孫の顔も見せない」というのは、あまりにも可哀相ではないか?

というわけで、3年前、当時2歳の子(つまり父にとっては「孫」)を、

父に会わせたことがある。

この子を父に引き合わせたことは、母には勿論、妻にも言っていない。

当人(2歳の子)自身は、当時まだ言葉も不自由だから、

「祖父と会った」という認識もしていないし、なのでその事実を母や妻にしゃべることもないので、

まあ安心である。

しかし、その子も既に5歳。

今父に引き合わせれば、その事実を妻、あるいは母に「うっかりしゃべってしまう」危険性がある。

なので、もう引き合わせることはできない。

加えて、現在1歳の子ができているのだが、この子を引き合わせることも、

できないのではないか?

妻や母に気付かれず、更には「5歳の子に気付かれず」に引き合わせるのには、

相当にリスクがある。

で、5歳の子は、妻の両親(母方の「じいじい」と「ばあばあ」)とは良く会っているし、

自分の母(父方の「ばあばあ」)にも年1回は会っているのだが、

そろそろ年齢的には

「自分のパパのお父さん(つまり「父方のじいじい」)は、いないのか?」

という疑問を抱く頃である。

どのように言い訳しようか?

「父方のじいじいは死んだ」ということにしておこうか?

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