2009-09-11

anond:20090911142959


人間関係と生活が破壊されているか否かはどこで線引きをするのか?

また、

人間関係と生活を破壊しない布教活動とお布施はOKなのか?

親族死ね葬式にお寺の坊さん呼んではいお布施、四十九日の法要でまたお布施戒名書いて貰ったらはいお布施お布施の金額によって唱えるお経まで変わってしまうとか、その度にお高い金額のお布施を請求される集金システムでちゅよ。貧乏人には充分キツいよ。

で、親がそのお寺の檀家ならばその子供赤ちゃんのときから強制的にまたその寺の信者にされてしまうわけで、これも本人の意志に関係ない強制的な布教活動に当たるんでないの?で、あとあとからそれが原因で親子喧嘩したら人間関係破壊だからその寺はカルトってことになるのかなぁ。

やっぱり葬式仏教カルトになりうる場合もあるよな。

記事への反応 -
  • なんらかの新宗教をカルトカルトと言って馬鹿にする人は多いが、実際のところ一見安全に見える伝統宗教のほうがえげつないくらい偏っていたり悪弊だらけだったりもする。 その...

    • 正統な教義か否かというのは大衆には重要でないと思う。 だから、誤謬も重要でない。 問題は、生活と人間関係を破壊するほどの布教やお布施を強いるか否か。 この点において、伝統...

      • 人間関係と生活が破壊されているか否かはどこで線引きをするのか? また、 人間関係と生活を破壊しない布教活動とお布施はOKなのか? 親族が死ねば葬式にお寺の坊さん呼んで...

        • カルト、特に反社会的カルトかそうでないかは、言葉通り「反社会的」か否かだろうな。 組織や信者の主流が社会と折り合えてるかどうか。 社会と折り合えてるなら、布教や集金に熱...

      • >正統な教義か否かというのは大衆には重要でないと思う。 大衆にとってどうでもいいのではなくて、その宗教への信仰心のない人にとってはどうでもいい話しなのだと思う。 信仰...

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん