2009-09-05

あの人はいま

いじめられる方にも原因があるんじゃないの?」

 ふと、小学生の頃担任に言われた言葉が蘇った。今の私なら、容易に言い返せるだろう。「先生。それはつまり、原因さえあればいじめを容認するということですか?」と(そんなこと許されるはずがない。気に食わないのなら、構わなければいいのだ。なぜわざわざいじめる必要がある。いじめに関しては、いかなる理由があれど、いじめる方が100パーセント悪いと私は主張する)。だが、小学生の私には言えなかったのだ。口をぎゅっと結びうつむいて涙をこらえたけれど、結局私の目からはぽりぽろと涙がこぼれた。担任が面倒そうに溜息を吐く。

 実際のところ、そんな大それたいじめを受けているわけではなかった。いつもは仲間外れにするくせに、都合のいいときだけ頼ってきたり。身体的特徴へのやや過剰な中傷をしてみたり。静かに本を読んでいたら、机を蹴られて少しだけ痛い思いをしたことが1回だけあったけれど、肉体的攻撃をうけたのはそれだけだった。しかし、その頃の私にとって、それは辛いことだったのだ(少なくとも、担任に助けを求める程度には)。

 まあ、私は面と向かって悪口を言われればそのたびに言い返していたし)、私は割合勉強のできる子供だったので、自分より成績の悪い人間から中傷されても、相手を心の中でバカにすることで平静を保っていた。今考えれば、"私ひとり対みんなで喧嘩をしていた"といえなくもない。1対1じゃない時点で、いじめには変わりないのだろうけど。

 だが、世の中やられたらやりかえせるような人間ばかりではない。むしろ、私のようなパターンは稀であるように思える(いじめられていることを教師に訴えることができる時点で、私はある程度強い方なのだろう)。小学生が、中学生が、まだ先の長い者たちがいじめられることを苦に自殺するようになってしまったこの世の中で、大人たちは、教師たちは、なにをしているのだろう。よもや、「いじめられる方にも原因があるんじゃないの?」などと声をかけているのではあるまいな。

 とりあえずあのときの担任はいなくなればいいと思う。もちろん私怨だ。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん