2009-07-30

言葉】 フォローしなくてはいけない当事者実害より「敵対性」を容認してしまうことは、~弱者を無視した一方的態度で、他者性・社会性に欠けます。

京都での、はてサの自称「反差別デモ」 http://www.mudaijp.com/wp/5515.html で、「反日上等!」と叫ぶことの是非について。>

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>虐げられた人たちと彼らのもとに立とうとする人たちが、敵対性を表に出すのは当然だ

引用されたページ内でもコメントされてましたが、フォローしなくてはいけない当事者実害より「敵対性」を容認してしまうことは、自分の想う「正義正論」さえ掲げそれを振り回しさえすればドコでもOKという全面容認は、実際にコンフリクトを被る弱者を無視した一方的態度で、他者性・社会性に欠けます。

運動意志決定の立場にある者は、より冷静に問題に纏わる問題を一つ一つ整理していく必要があります。が、得てしてより過激なアジテーションに重点を置く者は、表明とその主体が完全無辜であるか印象づけることばかりに心血をそそぐという自家撞着ループに至っている者が多く、さて肝心要の問題現状がさっぱり明晰分析・検証提示されないので、他者異者には少しも問題共有出来得ず、問題にとっても運動にとっても一番の不幸が続きます。

http://h.hatena.ne.jp/keyword/%E5%8F%8D%E6%97%A5%E4%B8%8A%E7%AD%89%EF%BC%81%EF%BC%88%E3%81%AF%E3%82%93%E3%81%AB%E3%81%A1%E3%83%BB%E3%81%98%E3%82%87%E3%83%BC%E3%81%A8%E3%83%BC%EF%BC%81%EF%BC%89%E3%80%80

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