小中学校、高校、大学・・。将来はどんな職に就きたいか、どんな事をしたいか、ちゃんと考えている奴なんて稀だ。大学院ですらそんな奴がいるかどうか怪しい。
「そうしなければならない」という状況や、周囲の人が「当たり前のようにそうしている」という環境にいる人が、そういう人生を歩んでいるだけだと思う。
本当に、個人的なやる気によって自分自身のスキルアップやキャリアパスをデザインするような奴は、結果として優秀な人物だ。
凡人は、就職活動をし始めた冬とか春になってから、「俺は何をしたいのか?」と初めて自問自答する。普段の生活は、眠かったら寝る、腹が減ったら飯を食べる。遊ぶのが面白かったら明日も遊びたい。嫌な事があったら逃げ出したい。遊ぶためにバイトするかもしれないけど、1ヶ月もしくは数ヶ月先のことのためがほとんど。
日常的な物事は、「やりたくても出来ない事」と「出来るけどしたくない事」のどちらかがほとんど。
毎日どこか妥協することの連続だ。一日に本当に集中出来る時間はせいぜい3〜4時間程度。他は、考えなくても出来るようなルーチンワークのような事務作業だったり、ぼーっとしたりしかしていない。
人間ってもっと合理的な行動をしているはずだと思ってた。実際はもっと動物的で、その場その場の本能みたいなものに突き動かされているだけじゃないか。
でも合理的な事ばかりしている奴がいたら機械みたいな奴だ。自分に利益がないことはしない。工場のロボットアームのように無駄な動きがない。
「どのようにしたらうまくいくか」という情報があふれている現代においては、「失敗しないこと」「正しい選択をすること」「即断すること」「後悔しないこと」「回り道をしないこと」「結果を出すこと」が過度に重視され、本人自身が試行錯誤をしながらゆっくり「経験」することを許してもらえない風潮があります。
「どのようにしたらうまくいくか」という情報を基に計画を立てるのが当たり前の世の中かもしれない。それでも上手くいかなくて泣いたり、上手くいきすぎて笑ったり、計画通りにいかないところに「その人らしさ」が出てくる。
仕事が上手くいかずに悩んでも、
こんな風に思って、出来る事を淡々とこなしていくしかない。
24歳にもなってやっと気がついた。