それも一つ一つが場の空気を崩壊させてしまう致命的なものを3つも。
最悪だ。鬱だ。思わず床に倒れ込んだら17時。
空腹と脱力感のおかげか、何か書くって行動が出来る気がしたので
さてさて、僕は社会人として活動する様になってから
物語を書くという好意から離れてしまった。
毎日mixiに何かしらの記事を書くことはなかった。
単に忙しかったからという理由が一番大きいと思っていたのだが
ふとたまに思っていた感覚にズレを感じる。別の理由だった気がするのだ。
書き出してみて、うすぼんやりとした対象が少しだけ実体を感じ取れて気がした。
そんな感覚を抱いてしまったんだ。
愚かな態度や情けなかった自分の行動、浅はかな知識で書かれた文章。
何なのこいつ、気持ち悪いんだけど・・・という様な感情を向けられだけでは?
考えれば、意識すればそれだけ文章の方向性が悪い方に傾くのである。
無意識かでそれを感じて、なんかわからないけど心が萎えてくる。
結果として、僕は文章を書きたいと思わなくなった。
それは絵に対しても同様だ、いまふと気付いた。
何かを作り上げたり練り上げたりするとき、何を求めるのか?
作りたいからという、達成感がもっとも前向きで純粋でステキだと思う。
けれど、僕は作るという行為を通して誰かに関心を向けてもらいたいのだ。
行為を向けてもらいたいのだ。かまってちゃんだったのだ。
・・・そりゃ、気持ち悪い文章しか書けないわな。
毎日の中で、ステキだった事やがんばったぜー!! って事をまっすぐに書ける様になろう。
それが人と比較すればどれだけ些細でちっぽけだとしても、書き残したいって思える様に生きよう。
そんなことを改めて考えることが出来たから
この文章は僕にとってだけ見れば、プラスになったと思う。
さぁ、今日最初のご飯を食べにいこうじゃないか。