2009-07-21

日記を書くという事が分からなくなった

今朝、趣味の集まりで典型的な凡ミスをしてしまった。

それも一つ一つが場の空気を崩壊させてしまう致命的なものを3つも。

最悪だ。鬱だ。思わず床に倒れ込んだら17時。

空腹と脱力感のおかげか、何か書くって行動が出来る気がしたので

吐き出しがてら匿名はてなの日記に記載しています。

さてさて、僕は社会人として活動する様になってから

私的な日記や俗にいうオタク趣味に分類されるような

物語を書くという好意から離れてしまった。

仕事上の必要なメールのやり取りはするが、学生時代の様に

毎日mixiに何かしらの記事を書くことはなかった。

単に忙しかったからという理由が一番大きいと思っていたのだが

ふとたまに思っていた感覚にズレを感じる。別の理由だった気がするのだ。

書き出してみて、うすぼんやりとした対象が少しだけ実体を感じ取れて気がした。

無意味、むしろ有害

そんな感覚を抱いてしまったんだ。

愚かな態度や情けなかった自分の行動、浅はかな知識で書かれた文章。

日記物語を書いていると読んでいても愉快になれない内容や

何なのこいつ、気持ち悪いんだけど・・・という様な感情を向けられだけでは?

考えれば、意識すればそれだけ文章の方向性が悪い方に傾くのである。

無意識かでそれを感じて、なんかわからないけど心が萎えてくる。

結果として、僕は文章を書きたいと思わなくなった。

それは絵に対しても同様だ、いまふと気付いた。

何かを作り上げたり練り上げたりするとき、何を求めるのか?

作りたいからという、達成感がもっとも前向きで純粋ステキだと思う。

けれど、僕は作るという行為を通して誰かに関心を向けてもらいたいのだ。

行為を向けてもらいたいのだ。かまってちゃんだったのだ。

・・・そりゃ、気持ち悪い文章しか書けないわな。

毎日の中で、ステキだった事やがんばったぜー!! って事をまっすぐに書ける様になろう。

それが人と比較すればどれだけ些細でちっぽけだとしても、書き残したいって思える様に生きよう。

僕という人間根底を変えていこう。

そんなことを改めて考えることが出来たから

この文章は僕にとってだけ見れば、プラスになったと思う。

さぁ、今日最初のご飯を食べにいこうじゃないか。

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