「好きになる」行為は、対象さえいれば一人で完結している。
でも好きになる方は、相手のことにただならぬ関心があるわけだから、
相手をより深く理解したいという強い欲求がある。
その欲求の解決方法として、下でも書かれているように「時間の共有」
言い方を変えれば「体験の共有」が一般的な手段となっている。
一緒の時間を過ごすことで、観察の機会を得て
どんな時にどんな反応をし、どんな考え方をするのかと
相手の有り様を感じ取ろうとするわけだ。
「つきあう」と言うことを個々人の観点で捉えれば、
連絡手段が豊富な現代では、必ずしも常に同じ場所にいなくても
取る手段を選ぶことが出来る。
相手のことが理解できるなら、
そういう「好き」になり方もあるように思う。
それで互いに相手との間合いの取り方が分かってくれば
いろんなつきあい方が出来るんじゃないかな。
問題は、
本当に好きになったら、相手の魂に触れる距離まで近づきたくなっちゃうことか。