悲しいことに、
冷静な評価は無責任でないと出来ないようで。
どこか自分とは関係のない出来事と見なして冷めた目で審査を行う必要があるのです。
でも無責任な態度は、たいてい嫌われる。批評がまともだと尚更に。
内容は正しいんだけどなんだか気にくわないという屈折した思いが、
出口を失って人格攻撃に変わる。
「何やる気を失わせること言っちゃってんの?」
「いいかんじだったのに、お前の一言でダメになった。」
もちろんこれらの反撃は論点がずれているから評価した側も気分を悪くする。
「バカか!?俺が気付いたから、ダメになったわけじゃないだろ。
元からそもそもダメだったことに早めに気付けたんだ。
それとも、もっと後になってから気付きたかったの?
もう、お互いどうしようもない。
ずれた心を直そうとするのには、結構なエネルギーと時間がかかってしまって。
もはやそれはめんどくさいの一言。
前を向きたいのに進めないなんていう
辛く苦しくやってらんないたくさんの思いから、
たぶん色んなツールが生まれたわけで。
そういうツールの必要性とか使用法を
みんなが解ってたら、システムは上手くまわるんだろうけどね。
と周りに責任転嫁しつつも、システムシステム言ってるのの根本には
伝える側の技術の足りなさの問題があるってことには気付いてる。
「俺って頭いいだろう、ふふふん。」を極力見せずに、
「このチームを向上するために、努力してまっせ」を見せる技術。
人数増えたら難しいんだよね。これ。ほんとに。
もう、なんで俺バッカ努力せにゃならんの?と言いたいほどに。