当時の富野は禿ではないというのは、当然作者も編集者も知ってるだろうし、読者も大半は知ってると思う。
そうだと思う。知ってるよね?
だからこれは「この物語はフィクションです」というのをわかりやすくするための手法だと思うのだけど、
そうだとするとあの「アンリアル富野」を描く意図がよくわからない。
「富野の格好いい部分を取り出す」という漫画でもないようだし。富野の激しい気性は文章、インタビュー、逸話、作品からバシバシ伝わってくるけど、ああいう感じの細身でキレイな富野像は少なくとも自分の中には無い。
単にギャグなのか?
それにしては格好をつける方向に走りすぎてるように感じる。
池田秀一なんかもあれはギャグなのか大げさに描いてるのか、どっちなのか。
「だから僕は」とかコミカライズしたら結構面白いかもしれない。
本人の許可が出ないか。