200X年X月、将棋ファンのMさんが著した「将棋進化論」は、将棋の可能性をポジティブに語り、国内の「将棋 2.0」ブームに火を付けた。
だがここ最近は、将棋について語ることは少なく、昨年11月には終盤まで優勢に進めた将棋を二歩で反則負けするという“読み抜け”も起きた。
指さない将棋ファンであるという立場を離れて言う。将棋ファンには、バカなものが本当に多すぎる。棋士を紹介しているだけのエントリーに対して、どうして対象となっている将棋を指さずに、指し手の批判や自分の読み筋を披露できるのだろう。そこがまったく理解不明だ。
一方、今年5月には、最新刊「千駄ヶ谷二丁目からチェスを観る」を出版。その名の通り、チェス観戦の魅力を語った本で、帯にはこうある。
「わたしが本当に書きたかったのはこの本でした」
同書で彼は、“指さないチェスファン”としてチェスを語り、第一線のGMの努力と天才性を「千駄ヶ谷二丁目の棋士と通じる」と賞賛。リアルタイム観戦記を自ら執筆し、チェスを将棋という日本文化を広げる媒体として位置付ける。
3年前、将棋を賞賛し、将棋の可能性を力強く語ったMさんが今、将棋について語ることを休み、一流のGMたちに魅了されている。
Mさんは日本の将棋に絶望し、チェスに“乗り換え”てしまったのだろうか――記者は新刊からそんな印象を受け、Mさんに疑問をぶつけた。
最近Mさんは、日本の将棋についてあまり語っていらっしゃいません。新刊を読んでいると、「日本の将棋はチェスのようにはなれないから、今度は世界のチェスに期待する」と思われているような印象を受けました。
今の将棋について、意図することがあるから語ってないわけではありません。
とはいうものの残念に思っていることはあって。英語圏のチェスと日本語圏の将棋がずいぶん違う物になっちゃったなと。
仮に今の将棋がネガティブなものになったとしても、それを分析しようというモティベーションがそもそもないんですよ。
(http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0906/01/news045.html 続かない、カッとなって書いた反省している、ゴメン)