馬鹿な事を言ったものだ。
彼が言っている事は私にはわかりきっていた事ではないか。
それは、私自身にも内包されている事なのだから。
私はAという地点にいる。
友人は私がAにいるのは至極当然な事であり、そこがお前の居場所なのだと言った。
だが私はBにいると思っていたのだ。
Aは面白みがあるが少数の人にしか受け入れられてない。
Bは面白くも無いが多くの人に受け入れられている。
個人主義を気取っていながら、自分に自信の無い私が選ぶのは当然Bだろう。
わかっているのだ。私は私のことを。
わかっていないのだ。私は私のことを。
所詮は私の気持ちの持ち様なのだ。
他人と比べて私はどのようにあるか。他人から見ると私はAだ。
だが私が私を見るとBなのだ。
私自身何の面白みも無いし、特化した何かがあるとは思っていない。
しかしBに居ると居心地が悪い。当たり前だ。考える事はA寄りなのだから。
でもAに居ても居心地が悪い。当たり前だ。Aにいる人間のように滾る何かが無いのだから。
どんなにA寄りの事に詳しくても、それは自分の中に消化されて血肉となっているのではなくただそのまま丸飲みしているだけなのだから。
しかもその丸飲みしてわずかに咀嚼し、己の血肉となったものですらAの中のマイノリティなのだ。
誰かに理解されようと、表面上では思っていなかったが実は理解されたい。
だけど私は他者にそういうのを求めるのが下手だし、またどうやって他者と仲良くすればいいのかわからない。
だからBにいると思い込んで、Aの面白みがある所を見ないようにしているのだ。
それは他者との比較で計れるものではないのに、他者に認められたいがために計ってしまう。
わかっていたのだ。彼に言ったことはそのまま自分に当て嵌まる事だと。
言ってしまったのは、私が他人にそう言われたいであろうと思った言葉だ。
お前はB側の人間だとだから今のままでいろと、救いとも突き放しとも取れる言葉を言ったのだ。
それを彼がどう取ったのかは知る術が無い。
本当に馬鹿な事を言ったものだ。
答えはわかっているのに。
AともBともつかない場所で、ただ居たいだけなのだ。いや、どちらにも居場所がないのならそこに居るしかないのだ。