でも、そうなったらおしまいだと思わないですか?
個人それ自体の価値によって、その生産物にプレミアをつけるなんてのは既存のマスメディアと何ら変わりない。ホリエモンの言葉と同じ、個人と共に祭り上げられて、個人と共に没落してしまう。それらの生産物の価値は、その生産者に付随するからこそ価値がある故、誰か他の人のものになることさえ殆ど無い。決して、生産物それ自体が認められたわけではない。酷い場合には、深く吟味もしていない賛同意志に押しつぶされて、本当に価値のある評価・批評が消えてしまう。誰も生産物のことを考えず、ただ生産者を見ている状態になってしまう。
名無しさんだとか、としあきだとか、増田だとかの匿名の誰かの生産物は、平均して極めて低価値なものかもしれない。けれど、そういう中から稀に極めて価値の高いものが生まれるじゃない。そして、いつか消え去るとしても、それらは誰か他の人のものともなっていく。わたしはいつかそういう価値の一つを生み出したい。そして、生み出したものについて、わたし自身第三者のように振る舞いたい。
もちろん、署名されるべき生産物も多いと思う。緊急性の高いものや、非常に重要だけど多数のものに埋没しやすいものなど、目に付きやすく評価順の上位にくる必要性のあるものについては、可能な限りの地位を駆使すべきだと思っています。
結局ネットは既存システムと大差ないってことじゃね? 作成者の属性によらない『生産物の価値の尺度』を決める方法が必要だけど、現状のネットはそれを集合知的な方法論で実現しよ...