2009-04-27

シカトという戦略が取れるのは、多数派だけである。

多数派は、ぶっちゃけ、少数派がいなくても生きていけるし、対話をしなくても不利益はない。

が、少数派は常に、多数派に声をあげて、対話の機会を求めなければいけない。

だから、そういう意味で対話の拒否である「シカト」は多数派が少数派に対しての持つ一番有力な武器

 

対話を希望しているようなことを言い、発言を繰り返しながら、一部の人間の発言に関して、確信的に無視すると言うのは一番卑劣

それが卑劣であることを相手に直接訴えても、もうシカトされてるから、言葉が届かず、対話が成り立たない。

その閉じた場の中にいたら、その卑劣さが問題視されることはないから。

問題を、閉じた場の外に引っ張りだして、そのシカト=「対話の拒否」自体の持つ暴力性や問題点認識することが必要ななんだよね。

だから教室でいうと、教室の中でのシカトは当事者同士の話し合いとか、自浄作用では絶対になくならなくて。

ある意味ちくりじゃないけど「せんせー!」とか、当事者の輪以外の価値判断とか、しきりみたいのが必要になってくる。

大人の世界でも一緒。議論の場とかでそれを感じる。

ある場において、多数派にシカト=「対話を拒否」された少数派は、その場を越えた、外部の力に助けを求めることになる。

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