2009-04-25

分かってもらえないのが当たり前

日記ブログ書いても、検討違いなコメントブックマークコメントがつく。

掲示板で何か意見を主張しても、誤読する人が多数派で、正確な読みをする人はほんの一握りしかいない。

これが今の時代の「当たり前」なのだ。

分かってもらえることを前提にするから、どうしても期待外れになってしまうのであって、

最初から一度で理解される期待をしなければよいのだ。

このあたりの意識がいまだに浸透していないところに、悲劇がある。

検討違いなコメントをされると、ハァ?なんて気持ちになったり、

もしかしたら悪意でねじまげた解釈してるのかコイツと勘ぐったり、

そういう人が非常に多い。この種の悲劇はネット社会ではあまりにもありふれている。

自分の言ったことを分かりやすく書いて一度で理解してもらおうとか、

自分の言ったことをねじまげて解釈されているのではといった考えは捨てる。

ネットごしの匿名の相手に悪意があるかなんてたいていは判別できないし、

相手の悪意を疑うなんて実に不毛である。

それよりも、最初から分かってもらえることを期待しないのが、自分に対する最大の防護策になるのではないかと思う。

  • 自分の文章を誤読されたのなら、ただ単に自分の文章が解りにくいだけかもしれないとも考えられるけど 他人が書いた文章をそれ以外の人が誤読している場合は元文章の解りにくさのせ...

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