死んだら、その個人は階層を構成することはできなくなるから当然だと思うけど。
そもそも手足である我々が、全体のことを判断できるわけがないので「逝ってよし」は言えない。
生命の階層を構成することが目的で、個人が生き延びるために全力を尽くすのは、その手段ということでしょうか。
本来、最優先されるべきは全体の都合であるが、手足である我々個人はそれを判断できないので(それが全体のためであると信じて)「個人として生きること」を最優先に生きる。
う~ん、「優先」とか「存在意義」とかの使い方が整理されないと混乱しそうですね。
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