2009-04-07

サイレントテロは消えた

と言っても

もとから流行ったことなどなく、未だ聞いたことが無い人もいるだろう。

潜行し続けていた言葉だが、いつか浮かび上がってしまうことを危惧していた。

どうやらそれはなさそうだ。

永遠に地表に現れない地下水となったという意味で、サイレントテロは完全に消えた。

教義を固めたり強く仲間を募ったりすると

その時点で方向性と矛盾するというのが

サイレントテロの根源的に内包する捩れだった。

「消極的であり続ける」のが活動になるということが

止めようが無いという点で長所であり

奨励・普及に適さないと言う点で短所とされてきた。

だが勿論、奨励も普及も要らなかった。

ダッサイ決起みたいなことになって表面に顔を出し

しかもそこでの立ち回りに破れ叩き潰されることだけが

サイレントテロが死ぬ危険性だった。

そしてそれは賢明でダサくなくてなにより無気力テロリスト達の活躍(何もしないこと)

によって回避された。

今、

恋人作らない結婚しない車買わない酒飲まない流行を追わない。

これらを息をするようにやれる2~30代がまとまって現れた。

彼らはサイレントテロの教義を胸に抱いていない。

一度は見たことあるかもしれないが読んでそれを忘れた。

彼らこそが理想的な不屈のテロリストであり、

未だにサイレントテロとか自負してるセンスの無い奴は

打ち倒される可能性のある質の悪い下級戦士に位置づけられる。

なんにせよサイレントテロ空気に溶けた。

もうこんな言葉も必要ない。

聞いたことない人は気にする必要も無い。(それ以前にここまで読んでないだろうが)

これで社会は確実に変わる。ややゆっくりと。斜めに。

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