■果たして私は愚鈍になった
大人になるとは、愚鈍となることだと、一説ぶる。
鋭敏な感覚を有する人は、人生がつらいに違いない。
人の一挙手一投足に意味を見い出し、その矛盾をつき、
綺麗事を見抜き、真実を見失ない、絶望する。
人は綺麗事で生きているからうまく回るのだと、
その厚顔ぶりに嫌気がさし、
けれども仮面をとった後に残る醜さをも愛せるわけではない。
自分が一番綺麗事であった事に気づき、
自分に対する自分の攻撃から自分を守るために、愚鈍となるのだ。
せめて自身だけは真実を生きたいと、思うそばから矛盾が生まれる。
人のふりみて我がふり直せと、直視するたびに嫌悪が生じる。
自分の矛盾から自分を保護するため、他人の矛盾を攻撃せずにすませるため、
世の中とはそういうものだと、愚鈍化させるのだ。
そうして彼らは大人になる。
その愚鈍さが私には恐怖なのだ。愚鈍さに侵食されゆく自分が許せないのだ。
確かにこの世は生きやすくなった。同時にひどく生きにくくもある。
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