2009-04-07

果たして私は愚鈍になった

大人になるとは、愚鈍となることだと、一説ぶる。

鋭敏な感覚を有する人は、人生がつらいに違いない。

人の一挙手一投足に意味を見い出し、その矛盾をつき、

綺麗事を見抜き、真実を見失ない、絶望する。

人は綺麗事で生きているからうまく回るのだと、

その厚顔ぶりに嫌気がさし、

けれども仮面をとった後に残る醜さをも愛せるわけではない。

自分が一番綺麗事であった事に気づき

自分に対する自分の攻撃から自分を守るために、愚鈍となるのだ。

せめて自身だけは真実を生きたいと、思うそばから矛盾が生まれる。

人のふりみて我がふり直せと、直視するたびに嫌悪が生じる。

自分矛盾から自分保護するため、他人の矛盾を攻撃せずにすませるため、

世の中とはそういうものだと、愚鈍化させるのだ。

そうして彼らは大人になる。


その愚鈍さが私には恐怖なのだ。愚鈍さに侵食されゆく自分が許せないのだ。

確かにこの世は生きやすくなった。同時にひどく生きにくくもある。

  • ずいぶん偉そうだな。厚顔なのはおまえだろ。 愚鈍な大人になれないおまえはまだ子供というわけだ。 子供の青臭い批判にしか読めない。 子供がどうやって成長する?子供のまま、...

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