2009-01-18

http://d.hatena.ne.jp/Britty/20090118/p1

私は修士1年ですが、博士というのが本当に選ばれた人間のみが進んでも良い道、そういう厳しい道だということを大学に入ってからずっと感じ続けています。能力無くして出来ないとは思いますが、どちらかというと精神的な面、経済的な面、何よりタイミング重要性を感じています。

自分現在研究分野は物心付いた頃から好きで、小学校に入った頃くらいにはその知識量から周りからは"博士"扱いでした。小学校の高学年になると、朝起きたらトイレに本を持って入り、朝飯の時は食べながら読み、学校にいるときも暇さえあれば"そのこと"を考え、帰ってからも寝る間を惜しんで"そのこと"に触れていました。休みや授業後、まとまった時間があれば外に出て、立てた計画を実行していました。それはずっと続き、今でも続いています。それは努力といわれると違和感があり、それが普通で、それが自分でした。

そんな自分は何も知らずに研究室に入って同期に比べれば、ずっとドクターに近かったのでしょう。事実ドクター研究の話をしょっぱなから出来たのは自分だけでしたし、ドクター自分ドクターに行くとずっと思っていました。今となってはどうでも良いことですが。

小さい時からずっとやっていれば、人間ですからそのなかで波があるものです。大学4年の時、教授性格微妙に合わず疲れていたところに、卒論の未熟ゆえのハードスケジュールモチベーション微妙に下がってしまいました。その時生まれたドクターという道への"迷い"が全ての終わりでした。一度迷いが入ってはじめて分かるのですが、ドクターに行って良いのは迷いすら考えなかった"バカ"だけで、その時期にそんなバカになれるのは本当にタイミングに恵まれた幸運なバカだけです。迷いが入りつつもドクターに行ってしまうのは大バカです。勢いというのは能力よりも大切です。私は選ばれたバカにも、大バカにもなれませんでした。

実に自分が恨めしいです。勢いを失っているのに、ただ残ってしまった毎日の習慣が恨めしい。

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