2008-12-27

高みに立つ

力を持てば、それを正しく制御する義務もまた負わねばならないのだろうか?私が少しばかり知っているプログラマーの方二人を見ている限り、それは是と言えると思う。

そのお二人は非常に高いプログラミング能力を持った方だ。そして、言語ライブラリを作ったし、作っている。なぜ彼らは給料も入らないのにそんな仕事をしているのか?それを疑問に思ったが、私が分かる範囲で考えた結果、そのお二人はこう考えているのではないかと思った。

「この仕事は誰かがやらなくてはならない。しかしそれが出来る能力のある人は少ない。そして、そのうちの一人は自分だ。ならば自分がやらねばなるまい」

これはただの私の想像だ。しかし、そのお二人は自分の人並みはずれたプログラミング能力を自負しているであろうことは言動から見て取れる。お二人がその能力を『本当に』生かすには、どこぞの会社プロジェクトではとても役不足だろう。だからそのお二人は、自分能力に見合っておりかつ必要とされている仕事として、言語ライブラリを作ることを選んだのではないだろうか?いや、お二人が持つ能力が彼らをその仕事へ導いたのかもしれない。その仕事を見つけることも、それに必要とされる能力を見極めることも、自分能力を自負することも、高い能力がなければ出来ないことだからだ。

お一人は既にその仕事を終え、栄誉を得た。もうお一人は今まさにその仕事に取り組んでいる。

私のような凡才にはそのお二人の高みは分からない。そこから見える風景も。お二人は単に自分楽しみのためにその仕事をしているのかもしれないし、私が想像しているようにある種の義務感を抱いて仕事をしているのかもしれないし、あるいはその両方かもしれない。

ただ、お二人の仕事は非常に多くの方々に貢献している。それだけは確かなことだ。お二人がその能力を生かしてくれた仕事はとても尊いものであり、お一人は栄誉を持って報いられた。そしてもうお一人もまた栄誉を持って報いられることを願ってやまない。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん