http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20081221/1229832078
僕なりにこのエントリを一文要約すると、
「伝達方法に答えはないんだから、本質的なのは方法じゃなくて伝達だ(技能じゃなくて意志だ)」
ということだと思う。
動けるとか、声が出せるとか、言葉が喋れるとか、相手と同じ言語が使えるとか、敬語が使えるとか、多様な表現が使えるとか……。
相手の言動を考慮に入れる段階を踏まえると、もっと認識レベルでの技能も必要になってくるだろう。
だから、そういう意味で考えればコミュニケーション能力はあるし、幻想ではない。
でもid:aurelianoが批判している「コミュ能力」ってのは、そういう本来的な能力とは異なるのに「能力」と呼ばれるもののこと。
「この人(あるいは自分)はコミュニケーションが下手だな…」と思うと、その人の「コミュ能力」が低くなるような「能力」。
素朴に「自分はコミュニケーションが下手だ」とか思ってれば良いのに、自称非コミュは「能力」として考える。
そこには「自分は生まれながらコミュニケーションに向いてない存在だ」という感覚があるのか知らない。
しかし「コミュニケーションに向いてない存在」とは、「方法を有していない存在」か、「意志がない存在」か、どちらだろうか?
たとえば、生まれて初めてのコミュニケーションは必ず一方的な意志の押し付けである。
生まれながら何らかの方法を持っている者などいない。
意志はというと、こちらは生まれながら持っているものだ。
「コミュニケーションは意志である」というのは、少なくともこういうことだと思う。
ところで、「非コミュ=そのことを気にしてる」みたいなことって、何でデフォルトなのかなと疑問に思う。
コミュニケーション下手だから基本とりたくない!けど上手くなりたい訳でもない!みたいな人とか、いないの?
誰か教えてください。