2008-12-20

努力の話題の違和感

ちょっと真剣に考えてみた。

努力しないと報われない」とか書いてあることはおおむね同意できる内容なんだけど、なんか違和感があった。

定期的に話題になるようなことだし、うまい具合に諭すべき人も定期的に登場する。

話題にする分には申し分ない。

で、そのふたを開けるとなんか一言で名言みたいにうまいこと諭そうみたいな人が大量発生するんだよな。

みつをが大量発生する。

もうそれだけでなんとなく違和感があって、その内容よりもどんな人がこれを言っちゃうんだろう?って思えてくる。

どうしても、その人であったり社会であったり何かをよくしようと言うよりも努力語りしたいだけだろって言うか。

モチベーションをあげたり、さらにそれを他人に共感してもらうことってすごい快楽的なことじゃん。

さらにそこで止まってるように見える。

努力に関することはいい認識を持つ人が多いと思うけど、それを繰り返しているだけで先に進んでないと言うか。

いい加減それは当たり前のことで、前提条件って言う風になってんのかな?って。

名言でオナニーしている様を見せ付けられているようで少し不安な気持ちになる。

極端な言い方をすると、努力信仰対象になっているような違和感

信仰する気持ちはわかるんだけど。

  • 努力って結局、結果が伴わないと 評価の対象にはならない気がする。 努力することに意味があるって考えもわかるけど 結果は出なかったとしても 何にもしてなかった頃と比べて 少し...

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