2008-12-16

自分を愛してくれる他者」を想像で補完するときに

ある男性にとってはそれが処女のほうが良い、という話なのかしら。

処女であることが愛情の一種には構造上なり得ないという事実と(処女厨と呼ばれる人は「なりにくいだけだ」と反論するだろうか?)、フィクションの中でそれが愛情表現の一種として存在するという事実の間の齟齬を埋めきれていないのかなーとか。それを埋める責任処女厨各氏の内部にあるよね。

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