「やり方が上手なら」という限定つきで、模倣でも復讐でもいいと思うんだよなあ。
上手にレール敷いてやれば乗ってくれるかも知れないし、それに反発してまでやりたいことがあるならそれが本人のやりたいことだろうし。
何のレールも敷かないと「やりたいことが何もない」状態になることは本当にあるからな。もしくはやりたいことはあるが努力の仕方がわからないとか。
うちの親父はニッチな業界でそこそこ名の知れた技術者(特許けっこうある)なんだけど、息子たちは基本放任主義だった。
で、息子たちはただ何となく就職したけど、
あとになって親父は「実は技術者になってほしかった」とか言ってるのね。早く言えよと。そんなこんなで今自分はとても技術者とは呼べないけどちょっとした機械の修理の仕事してます。嫌いじゃない。
あと例えば、子供時代スポーツが不得意で惨めな思いしたからスポーツだけは得意にしてやりたいとか、そういう方針が親にあってもいいと思うのよね。
そうやって行かなきゃ代々の進歩はなかろうと思うんよ。
あんたが自分で気づくまで待ってたトコが何よりハイスペックだよ。 自分の人生の模倣を子供に求めちまうだろ、並の親は。 自分の人生の復讐を子供に求めちまうだろ、酷い親は。
「やり方が上手なら」という限定つきで、模倣でも復讐でもいいと思うんだよなあ。 上手にレール敷いてやれば乗ってくれるかも知れないし、それに反発してまでやりたいことがあるな...
模倣や復讐という言葉が持つ ネガティブなイメージを汲んでほしいと思う。 「やり方が上手なら」もっと別な言葉で喩えるんじゃないかな。
わかる。わかるよ。ただレールを敷く事自体を全否定して欲しくなかったんだ。