http://anond.hatelabo.jp/20081120001827の増田で十分だが。
これだけのことからいえることは多少なりともあるものだ。
多少が全体のどれだけを表しているかも問題とされている。
引用部分が全体の何パーセントを表しており、引用部の間違いから全体の間違いへと推論することの妥当性。さらにばらばらの引用からなんらかの意図を紡ぎあげたのは元増田であって、水村の意図と合致するかは確認されていない。
さらに要約が出てきたのは書評が出揃ってだから、元増田が書いた時点では数が多くないんじゃなかろうか。つまりソースは少ない。出揃う前にカウンターを入れたいというのが元増田の意図でもあるのだったのだろうし、そうでなければ「読まなくて分かるふり」をする必然性がない気がする。
なびく衆愚だとばかにするなら、彼らの引用能力にも問題があると見たほうが元増田の意見に合致するはずだが。馬鹿であればどの能力が欠如するかもあくまで推定でしかないけど、推定するには過去のデータをもとにする必要がある。
そして、梅田や弾が言ってることが的外れであることはそれだけの断片からでもわかった。それぐらい水村の記述には粗が多すぎたということだ。
これもソースとしても劣化しているし、梅田氏は自分の問題意識が多く、弾氏にしても普段の書評をみれば精度としては低いので、批判があるとすれば彼らの問題である。
さらに要約が出てきたのは書評が出揃ってだから、元増田が書いた時点では数が多くないんじゃなかろうか。 そうでもない。 なびく衆愚だとばかにするなら、彼らの引用能力にも問...