文章が書けなくなりました。
「ここに書いてるやんけ」と思うかもしれませんが、それはここがほぼ完全に匿名だから。
正確に言うと「自分のブログを更新できなくなってしまいました」ってことです。
ネタがないわけじゃない。
時間がないわけでもない。
書こうと思うといやな気分になる。
なんでだろうか。
以前はもっと楽しんで書いていたはずなのに。
「ここ変えたらもっと面白くなるんじゃね」とか独り言言ってました。
完成した文章を見て一人で笑っていました。
ええ、とても痛い子でした。ほんとうに。
でも面白かった。
自分で楽しんでいたころの文章は今見ても面白い。
他人が見て面白いかどうかはよくわからないけど、知り合いには好評だった。
でもある時期からぜんぜん面白い文章がかけなくなった。
記事の没が増えた。
記事を書いていても楽しくない。
書いた記事を見ても面白くもなんとも無い。
ブログを書くことが苦痛になってしまったのだ。
理由はわかっている。
痛い子じゃなくなったからだ。
自分は大人だと主張するようになったからだ。
そんな文章が面白いか?
いや、もちろんそういう文章でも面白くすることはできる。
はてなにはそういった文章が日々集められているじゃないか。
じゃあ自分との違いは何なのか?
おそらくは文才なのだろう。自分には間違いなく無い。
ただの紹介文なんかが面白いわけがない。
以前はそれを痛い解説をつけることでなんとか面白くしていた。
だがそれができなくなって文才で勝負しなくてはならなくなった。
それが今の状況。それはわかっている。
そして解決法もわかっている。文才を上げればいいだけだ。
だが、はっきり言ってそれは無理だ。
いや、無理というより文才がつく前に心が折れてしまうと言ったほうがいいか。
ここまで読んでいただいた方には感づかれてしまったであろうが、自分には文才以前に語彙力が足りない。
語彙力は日々の積み重ねだ。
他人と会話し、小説を読み、映画を鑑賞し、自分に還元していく。
そういった基礎的な行為を自分は怠ってきてしまった。
漫画やゲームでも多少は語彙力はつくだろうが、やはり状況説明が画として示されてしまうので、どうしても差がついてしまう。
内容も子供向けになってしまいがちだから、なおさらだ。
もうすでに遅いのかもしれない。
いや、もう遅いのだろう。
今から多少小説を読んだくらいでどうもこうもならないのは間違いない。
だがブログをやめたくはない。
もうすでに自分のアイデンティティのひとつになってしまった。
アイデンティティがこれ以上減るのはもういやなのだ。
さて文才がつくのが先か、心が折れるのが先か。
どうなることやら。
実は
「もうアイデンティティなくしちゃえばいいんじゃない?」
とかいうのもいいかもしれないとちょっと思った。
人間何にもなくなったほうが強く生きれるってもんです。
吾妻ひでおみたいに失踪してしまおうかね?すぐ帰ってくるタイプの失踪ね。
本いっぱい持ってどっか行ってしまおうか?
でもやっぱりへたれなので、やるとしても暖かくなってからにしよう。
伝えたいことが無いのに、何かを伝えようと頑張っているから破綻する。
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