たとえば職場で、課せられる役割や義務のみで物事を解釈し行おうとすれば、我々は、実はちょっとした世間話や「今夜飲みに行こう」などというプライベートな話など一切できなくなる。それは厳密には公私混同だから。だが、ここでもっと拡張して考えてみると、その職場に勤める動機が、例えば社会の役に立ちたいとか、生活費のためとか、これこれを作りたいとか、自分の私的な想いであるならば、それだけで公と私が入り交じっている。もともと職場とはそんな私的なものが入り交じりながら人々が作り上げて一緒に働いている場なのだ。公だけというのが仮にあるとすると、それは企業理念とか法律とか公務員なら公務員の規則や理念など、公的なものが目的であり手段であるような人間の場合だろうが、そういう100%の公は現実には存在しないだろう。
俺は、ともすれば公を優先して、自分を抑圧し型にはめようとするけれど、私と公など曖昧なものだと思えばそんなに堅く考える必要もないのかも知れない。
http://anond.hatelabo.jp/20081108130537 そうだなあ。内面までとやかく言わないよな。俺は心で思っていることっていうの派顔つきや態度やふとした行動として表に現れてしまうという気がすごく...