空気嫁と言われる側の痛撃を回避すると指摘する人がいたので念を押すと、それこそただの逃げでコミュニケーション不全の言い訳に過ぎない。やさしいふりをしているだけで、空気嫁というほうが意思疎通から逃げてる。空気というまえに、なにがどういう空気なのかきちんと説明してみる、言葉にしてみることの方が先だ。分からない方はそういう説明がないと何も分からないんだから。
言葉にしてみるとはっきりするけど、この表現は、分からないやつは黙れとか出ていけ、みたいな機能まで持っている。そっちの方が余程痛撃かもしれないとは思わないのだろうか。正直いって、この、やさしいふりをするってのが、もう異常だ。やさしいふりをして、自分の責任を微妙に回避したうえで、他人にその責任をなすりつけている。
空気と一言にしてわかったつもりになるよりも、言葉にしてみて、その是非をそれぞれよく考えてみるという作業が本当は大事なので、いい人ぶる、やさしいふりをしてみたって人間関係に窮するだけじゃないか。悪人になりたくないという意識が見える場面が多すぎる。
僕が嫌いな日本語のひとつは、「空気が読めない」。空気が読めなくて何が悪いのか、理解できないから。なぜか。 たとえば京都のぶぶ漬けの話はただのネタだ。でもあれは、ぶぶ漬け...
空気嫁と言われる側の痛撃を回避すると指摘する人がいたので念を押すと、それこそただの逃げでコミュニケーション不全の言い訳に過ぎない。やさしいふりをしているだけで、空気嫁と...
http://taketaka.cocolog-nifty.com/mogu/2004/05/post_24.html ぶぶ漬けって実は都市伝説じゃなかったのかもしれませんよ…
それはどうでもいいんだよ。本当でも都市伝説でも。大事なのは、言葉と言外に指しているものの関係がそれなりに明確ならいい。それなら文化だ、ある意味。 書いてから思ったが、最...