「そういえば、こないだ夜、Hさんから電話がかかってきて、"増田はモテるために教授をやってるとか堂々と言えて羨ましい"って言ってましたよ」
「え、そんなこと言ったかな」
「ほら、工学部で。"増田さんはどうして世界に拘り続けるのか"みたいな質問をされたときに、"あなたと違って僕はモテないからだ。ノーベル賞が取れる理学系が羨ましいから、僕はその何倍も頑張る必要があった"みたいなことを言ってたでしょう」
「ああ。まあそう言ったかもね。助教のときの話だけど」
「まあでもそれって嘘ですよね。本当は研究優先で女性はほったらかしじゃないですか?」
「ああ、そうかも知れない。だいたいそれで愛想を尽かされる。だいたい、本当にモテたいんだったら、教授より良い仕事はいくらでもある」
「Hさんに"Hさんも教授なんだから言えばいいじゃないですか"って言ったんですよ」
「ああ。それで?」
「そしたら、"言えないよー。そんなの絶対。恥ずかしくて"なんて言ってて。あ、Hさんは本気でモテるためにやってんだな、と思ったんですよね。それでちょっとガッカリしたというか」
教授には二種類居ると思う。暑苦しい教授とチャラチャラした教授。
前者は自分の夢を実現するための手段として研究室を必要とし、それを維持・拡大するために教授職を引き受けている。この場合の夢とは、研究上の目標とほぼ完全に一致している。故に暑苦しい。毎日のように夢を語り、自分と周囲を奮い立たせ、目標に向かって邁進する。
そのかわり、ケチ臭いところもある。服や食事にお金を使わない。人付き合いも悪い。
後者、すなわちチャラチャラした教授は、教授で居ることが目的化している教授である。
自分を本来の能力以上に大きく見せたい、派手なことがしたい、チヤホヤされたい、そのための手段として社長をやっているのであって、そういう人にとってもっとも目指すべきことは研究室をできるだけオシャレに保つことである。
そうしないと自分が教授でなくなってしまうからだ。こういう教授には、長期的な目標や、将来へのビジョンはあまりない。あったとしても、極めて近視眼的なものか、荒唐無稽なものが多い。ファッションでやっているのだから、ビジョンなんか真面目に語ったってしょうがないのだ。できるだけ派手なほうがいい。
こういう人たちに僕はファッション教授というニックネームをつけることにした。
僕が人と話をしていて、ウマが合うな、と思う教授は、暑苦しい教授の方である。
暑苦しい人は、10分も喋れば大好きになってしまう。
その暑苦しさが、本当に研究に打ち込んでいるから滲み出ているものなのか、それとも暑苦しいファッションを纏っているのか、目を見ればすぐにわかる。
暑苦しいだけで研究ができない教授もいれば、チャラチャラしてるように見えても研究の方ではキッチリ論文を書いていく人も居る。
結局、どっちであっても研究室がちゃんとした研究を行っていれば問題ない。
けれども僕はやっぱり、暑苦しい人の方が好きかな。