2008-10-17

適応障害が治ったきっかけ

僕は子供の頃から特に神経質だったわけでも気弱だったわけでもありません。

でも会社に入って色々と仕事上の人間関係が複雑になり、色々な事を考えるうちに

それ以外の事が考えられなくなりました。

頭の中が暴走している状態で余りに苦しく、心療内科に行くと

適応障害という診断をもらいました。

「あなたは鬱病というほど深刻ではありませんが、頭の切り替えができなくなっています。

 薬を飲んで頭の回転速度を落とし、睡眠導入剤でよく寝れば症状は良くなります」

と言われました。

薬を飲み続けるとだんだんと良くなってきたような気がしましたが、

自分で「あぁなんだかすっきりした」と実感できた瞬間は、生まれて2ヶ月の

子供を抱っこしてあやしているときでした。

僕はその笑顔に癒されたわけではありません。

ただなんとなく、この子の将来をぼんやり考えていたときに、同時に僕の死というのが

頭をよぎったのです。

その瞬間、僕の頭に1つの疑問が浮かびました。

「僕が死んだら、この子が生き続けている事をどうやって確かめればいいんだろう」

そう考えると

「僕が死んだら、その数年後か数日後にこの子が死んでも僕にはわからない」

「いや待てよ。僕が死んだら、僕のいない世界がそのまま続いていくかどうかなんて、僕にはわからないじゃないか」

そう思ったのです。

その瞬間肩に乗っていた錘が取れたような、晴れ晴れとした気分になりました。

僕がいなくなれば、少なくとも僕にとってこの世は無くなるんだ。

たとえ続いてたって、僕には確認も証明もできないじゃないか。

苦しいことも悲しいことも、仕事人間関係も全部全部、僕の人生という映画スクリーン

映し出されるだけの、ただの演出に過ぎないんだ。

そんなことで僕の心が疲弊したり、楽しいことが考えられなくなるのはまったく無駄なことだ。

して、この子の存在を一瞬でも延ばすために、僕は生きないといけないんだ。

回復した僕はまた仕事に復帰し、日々悩んだり怒ったりしていますが、

そのときの生々しい感覚はまだ持ち続けています。

してそれを思い出すたびに、目の前にある嫌な仕事や嫌な人間を見ても、

それはただ、僕が生きている間だけの煙のような存在なのだと思えば

自分の心がとても落ち着いているのを感じられるのです。

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