2008-10-13

私の母という生き物に

心にマトリョーシカのように何層にも重なった箱を用意する。それをひとつひとつあけていって,ひたすらあけていって,そうして時間かたったころに,最後のひとつにたどりつく。

そうしたら,最後の箱には恨みを入れる。

体の痛みとか憎しみとか,そういうのはだんだん軽くなっていくし,そのことばかり考えて毎日生きていくのは疲れちゃう。毎日自分のやるべきこともきちんとしないといけないから,そればかり考えてもいられない。できるだけできるだけ考えないように,そういうことをするんだけど,たまに彼女からされたことや言われたことばをひとつひとつ思い出して,遠く離れたところに住んでいても,体にまだ残っている跡をなぞると,恐怖で叫び出さずにはいられなくなったりする。ものごころついた頃から憎んで,憎んで,ひたすらに憎んで,たまにこっそり死のうとして,憎み疲れて,でもどうでもいいと思えなくて,忘れようと努力して,忘れるものかと思ってみたりして,でも疲れて,そうして煮込んで濃縮して,最後に残るのが恨みであると実感したりする。心のなかにしめる割合みたいなのはすごく少なくなるんだけど,その残った恨みにひとたび水を入れたらまた心が憎しみでいっぱいになる。

マトリョーシカの核に恨みを入れるより,恨みなんて捨てちゃえばいいじゃない。って思うんだろうな。

どうすれば最後の箱を捨てられるかなんてだれも知らないけどその方法をどうしても見つけ出したいとも思ったりする。その方法を知らなかったら,私はいつかあの人を殺すと思う。殺してしまうと思う。殺してやりたいと思っている。殺してしまうための知識はすでに得ているし,力も得てしまっている。私が手をかけるまえに,はやくいなくなってほしいと思っている。

私は小さい頃から,対象に対して静かに憎しみを持つことで自我を保ってきた。保とうとしてきた。保てなくなって,狂ってしまうのだけはさけたかった。傷つけられているときに私を代行してくれるもう一人の人を作ることも考えたけど,そうするよりも憎む方が自分の力になった。どうしても離れたいと勉強することだってできたのだから。

友達ふたりの結婚式に行ってきた。すごく感動した。結婚式に夢やあこがれを抱いたのは本当に初めてのことだった。自分が結婚するとしても,今回の新婦みたいに泣きながら親に手紙など読めない。あの人の喜ぶ顔をみようものならその場で今までされたことを仕返してしまうのではないかとさえ感じた。きれいな涙をながしながら手紙を読む友達を,同様に目を潤ませながらそれをきく母親を。お色直しに立つ友達が手伝いに母親を指名するのを,心底うらやましいと思った。私が今回結婚したふたりを羨み,私にはあんな風にいい式ができないと妬んでいることに気づいてしまい,どうにも情けなくなって消えてしまいたくなった。同時に,その日流した涙が恨みの固まりを溶かして,また心の中が憎しみに占められてきているのをありありと感じた。

お願いです。私を犯罪者予備軍として捕まえてください。あの人に,近づけないようにしてください。私は人を殺したくないのです。

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