信仰の定義の前提を共有していない以上、現時点では「お前のそれが信仰だ」という話にはならない。
もしそれをやるのであれば、信仰の定義についての前提を合わせるところからだ。
何で俺がお前のそれを信仰だと思うかについてはすでに述べたよ。お前は文章の正否や是非について語ろうとしないで「この文章にインパクトがあったという(お前の中での)事実が嬉しい(意訳)」って言ってるんだから。そんなもん文章に対する同意でも何でもなく文章それ自体に対する思い入れじゃん。俺はそれを信仰と称したわけよ。
俺は嬉しいとは一言も書いていない。強烈な文であると書いた。なぜそこの取り方が変わってしまうんだろう。
まず、「文章それ自体に対する思い入れ」は「信仰」である、というanond:20081002181652の仮説設定は理解した。そして、俺はその仮説が理解できない。
宗教観がまるでない俺が思う「信仰」というのは、単純に全知全能の神に対して、自分自身では抗えないものを感じ畏怖し、人生の師として仰ぐことだ。一方、思い入れがあればそれは信仰である、というのがanond:20081002181652の考えだ。既に相容れないことはわかるだろう。
一方で、俺はこの文章については、当時も今も「名文」と思っている。俺が定義する「名文」とは、その文章が人々の心に残る文章のことだ。それを見て笑う人、怒る人、嘆く人、感動する人がいて、その文章をめぐって沢山の人が何かしらの考えをすることが条件となる。だから、名文としてリンクを貼って紹介したわけだ。
さらに言えば、俺自身が当時強烈に感じたこの文章が今も目の前で人の心を動かした(悪い方向にだが)という事実は、これが強烈な文、すなわち名文であると俺自身が考えた理由の強化となった。だがこの文章、まして他人の文章へ特段の思い入れはないし、俺の考える信仰にはほど遠い。もしこのことをanond:20081002181652が「信仰」というのであれば、名文は他にいくらでもあるし、それらも同時に「信仰」せねばなるまい。
そこから考えると、anond:20081002181652の言う信仰は思い入れ程度のことを信仰と言う以上、もっともっと緩い定義なのだと思う。その「信仰」とはanond:20081002181652にとってどんな意味を持つのか。それが俺の知りたいところだ。
だからそれはお前自身の判断だろ?別に俺は信者や信仰心を持つことだいやだと思うって意思なんて表明も何もしてないけど。 単にお前が「自分自身は信者じゃない」と言っていること...
知らんがな。「自分自身は信者じゃない」って誰がどこで言ったのよ。 俺は自分が信者であるか信者でないかに一度も言及してないし、そんなことには最初から興味がない。 でも、信者...
「ループかな?」に対して「俺は続ける意思があるけどループになると思うから打ち止めにするかどうかはそっちで判断しろよ」って言ったんだけどね。 あとお前は「文章に対する信仰...
なるほど、「俺は続ける意思があるけどループになると思うから打ち止めにするかどうかはそっちで判断しろよ」ってことね。だったらそう書いてくれ。書いてないことを行間で理解でき...
だから俺はお前のそれが信仰だと思っている上で、それが信仰かどうかの話をしようじゃないか、と言ってるんだけど。 何で俺がお前のそれを信仰だと思うかについてはすでに述べたよ...
だから俺はお前のそれが信仰だと思っている上で、それが信仰かどうかの話をしようじゃないか、と言ってるんだけど。 信仰の定義の前提を共有していない以上、現時点では「お前の...
俺は「お前のそれが信仰かどうか」から話していこうぜ、って言ってるだろかなり初期から。そこから話始まれば信仰の定義の話にもなるだろ。 俺がずっとそう言ってるのに今更になっ...
うーん。「明確に定義されていない言葉を使って議論することは無駄だ」という前提が俺の中であることが、既にanond:20081002194502と感覚がずれていたのかもしれないな。 ある人から「お前...